高校野球史に残る“世紀の番狂わせ”。1984年、桑田真澄・清原和博という「KKコンビ」を擁する最強PL学園を破り、茨城県勢として初の全国制覇を成し遂げたのが、取手二高でした。
前年秋の茨城大会優勝、関東大会初制覇、選抜8強、そして夏の甲子園優勝。まさに“のびのび野球”で全国を驚かせた公立校の快進撃でした。
👀桑田が敗因を探りに訪れたグラウンド
優勝後、PLのエース桑田真澄が単身で取手二高を訪れたという逸話も有名です。豪華な施設を持つPLとは対照的に、取手二高のグラウンドには電車の車輪がウエイト器具代わりに置かれているだけ。そんな環境で育った選手たちが、全国の頂点に立ったのです。
🧓木内幸男監督の“勝負師”としての哲学
取手二高を率いたのは、名将・木内幸男監督。春夏通算3度の全国制覇、甲子園通算40勝を挙げた伝説の指導者です。選手たちからは「じいさん」と親しまれ、自由と責任を絶妙に使い分けるマネジメント力でチームを導きました。
スクイズのサインを見逃して本塁打を打った選手にも怒らず、個性を尊重する指導は、今も語り継がれています。
🏚現在の取手二高 部員はわずか14人
しかし、あれから41年。取手二高は甲子園から遠ざかり、今では2年生の野球部員がわずか2人。1年生を含めても14人という厳しい状況です。少子化や私学への進学傾向もあり、かつてのように「甲子園を目指して入学する」生徒はほとんどいません。
昨年の秋には試合中に3人が負傷し、没収試合となる事態も。それでも、現監督の下田和彦氏は「できないことを分かってあげないといけない」と、現実を受け入れながらも前を向いています。
🤝合同練習で走塁力を強化 小さな一歩が未来をつくる
人数が少ないことで実戦練習が難しい取手二高は、他校との合同練習を通じて走塁力を強化。その成果はすぐに試合にも表れました。「もっと早く気づいていれば…」という言葉には、指導者としての悔しさと希望が込められています。
🌈スカイブルー軍団の記憶と、未来への挑戦
1980年代、取手二高は“スカイブルー軍団”として甲子園を沸かせました。中学時代から憧れて入学した選手たちが、全国の舞台で躍動したあの時代。今はその面影こそ薄れましたが、野球への情熱は確かに受け継がれています。
「もう一度、甲子園へ」――その夢は、決して過去のものではありません。小さな一歩が、再び奇跡を呼ぶ日を信じて。
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子供部屋35
@uso931桑田・清原のPLを倒して茨城勢初優勝から41年甲子園なし…“世紀の番狂わせ”の公立校・取手二高は「今、2年生の野球部員は2人だけ」(Number Web) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/d3234…





























